韓国語学習記事

韓国語の反復・習慣表現完全ガイド

-곤 하다・-는 경향이 있다・-아/어 대다・-기 일쑤다

繰り返しを、過去の回想として述べるのか、現在の傾向として述べるのか、評価を加えるのか、望ましくない結果の頻発として述べるのかを先に見分けます。これで、形の似た4つの中級表現を選べます。

編集:語学ドリル|

何を反復と見ているかで4つに分ける

過去や現在に同じ行動を繰り返していたと回想するなら-곤 하다を選びます。個人・集団を問わず現在の一般的な性質・傾向として述べるなら-는 경향이 있다です。行動の反復や程度の甚だしさを話し手の評価とともに表すなら-아/어 대다、望ましくない結果が繰り返し起きるなら-기 일쑤다を選びます。

この4つはいずれも「よく〜する」「〜しがちだ」のような日本語訳に寄りやすく、形だけを覚えると混同しやすくなります。国立国語院の標準国語大辞典・우리말샘は、それぞれを別の見出し語として扱っています。

役割は次のように分かれます。特定の過去の反復を回想する。現在の一般的な性質・傾向として述べる。

話し手の否定的評価を伴う程度の強さを表す。結果の望ましさに関わる頻度を表す。

表現・分類中心となる意味見分ける箇所
-곤 하다同じ行動の反復を回想する(中立的)過去や現在に繰り返した一つの行動を振り返っているか
-는 경향이 있다現在の一般的な性質・傾向として述べる(客観的)特定の反復を回想せず、個人・集団を問わず現在の傾向として一般化しているか
-아/어 대다行動の反復や程度の甚だしさへの否定的評価話し手がその反復を迷惑・過度だと感じているか
-기 일쑤다望ましくない結果が繰り返し起きる繰り返される内容が失敗・悪い結果に類するか

-곤 하다は同じ行動の反復を中立的に回想する

-곤 하다は、動詞語幹に付き、過去または現在に同じ行動や状況が繰り返されていたことを、良し悪しの評価を加えずに回想して表します。

-곤 하다の-곤は-고는の縮約形で、国立国語院 標準国語大辞典は-고는(語尾)を「같은 일이 반복됨을 나타내는 연결 어미(同じことが反復されることを表す連結語尾)」と定義しています。ここに하다が続いた-곤 하다は、その反復を「〜したものだ」「〜することがある」という形で述べる言い方です。

国立国語院オンライン相談室(2023年回答)でも、質問者が-곤 하다/고는 하다を「어떤 행동이나 상황이 반복되는 것을 나타낸다(ある行動や状況が反復されることを表す)」と理解しているのに対し、回答は「'-고는/-곤 하다'の構成は動詞語幹または語尾'-으시-'の後に付くのが典型的な使い方」と述べ、この反復の理解を前提として回答しています。実際の使用では形容詞の後に付く例も見られ、その用法が拡張されていると回答は補足しています。

학생 때는 수업이 끝나면 도서관에 들르곤 했어요.

学生のときは、授業が終わると図書館に立ち寄ったものです。

過去の一時期に繰り返した行動を、良し悪しの評価を加えずに回想しています。

요즘도 주말이면 그 카페에 가곤 해요.

最近も週末になると、あのカフェに行くことがあります。

現在も続く反復を、-곤 하다で中立的に述べています。

-는 경향이 있다は現在の一般的な性質・傾向として述べる

-는 경향이 있다は、動詞・形容詞の連体形に付き、特定の過去の反復行為そのものを回想するのではなく、個人・集団を問わず現在の性質や行動が一般的にどう傾いているかを、例外を認めつつ客観的に述べます。

経향(傾向)について、国立国語院 標準国語大辞典は「현상이나 사상, 행동 따위가 어떤 방향으로 기울어짐(現象や思想、行動などがある方向へ傾くこと)」と定義しています。-는 경향이 있다はこの名詞に이 있다(〜がある)を続けた形で、-곤 하다が特定の過去の反復行為を回想するのに対し、-는 경향이 있다は主語が個人でも集団でも使え、その性質や行動が現在どちらの方向へ偏っているかを一般化して述べる点が違います。「必ずそうなる」規則ではなく「そうなりやすい」という余地を残す言い方でもあります。

조사에 따르면 젊은 세대일수록 온라인으로 물건을 사는 경향이 있어요.

調査によると、若い世代ほどオンラインで物を買う傾向があります。

調査データから見える、世代という集団の一般的な方向性を述べています。
× -는 경향이 있다を、特定の過去の一時期に繰り返した行動そのものを回想する場面(-곤 하다で表す内容)に使う

-는 경향이 있다は個人にも使えますが、標準国語大辞典の경향の定義「어떤 방향으로 기울어짐」が指すのは現在の性質・行動が傾いている方向であり、過去の一回・一時期の反復行為を回想する言い方ではありません。

→ 特定の過去の反復行動を回想するなら-곤 하다、個人・集団を問わず現在の一般的な傾向として述べるなら-는 경향이 있다を選びます。

-아/어 대다は反復や程度の甚だしさへの否定的評価を加える

-아/어 대다は、動詞語幹に付き、その行動が反復されるか、程度が甚だしいことを表します。多くは話し手がその反復を迷惑・過度だと感じている否定的な場面で使われます。

国立国語院 우리말샘は補助動詞としての대다を「(동사 뒤에서 '-어 대다' 구성으로 쓰여) 앞말이 뜻하는 행동을 반복하거나 그 행동의 정도가 심함을 나타내는 말(動詞の後で「-어 대다」の構成で使われ、前の語が意味する行動を反復するか、その行動の程度が甚だしいことを表す語)」と定義しています。-는 경향이 있다が例外を認める中立的な傾向の記述であるのに対し、-아/어 대다は話し手の主観的な評価(迷惑・過度)を伴う点で異なります。

아이가 장난감을 사 달라고 졸라 댔어요.

子どもがおもちゃを買ってとせがみ続けました。

同じ要求行動が反復され、話し手がそれを負担に感じている場面です。
× -아/어 대다を良い意味の反復(例:매일 열심히 공부해 대요)に使う

우리말샘の定義は反復と程度の甚だしさを示すのみですが、実際の用法では話し手の迷惑・不満を伴う否定的な文脈に偏って使われます。好ましい反復には別の表現(-곤 하다等)のほうが自然です。

→ 話し手がその反復を迷惑・過度だと感じている場面かどうかを確認してから-아/어 대다を選びます。

-기 일쑤다は望ましくない結果の頻発を表す

-기 일쑤다は、動詞語幹に付き、望ましくない行動や結果が繰り返し起こることを表します。多くは-기가 일쑤이다の形で使われます。

国立国語院オンライン相談室(2025年回答)は、'일쑤이다'を肯定的な状況(良い成績を取ることが일쑤이다)に使えるかという質問に対し、「표준국어대사전에 따르면 '일쑤'는 '흔히 또는 으레 그러는 일'로 풀이된다는 점에서、제시하신 상황에 쓰는 것을 잘못되었다고 보기는 어렵겠습니다(標準国語大辞典によれば「일쑤」は「よく、または当然そうなること」と解釈されるという点で、提示された状況で使うことを間違いと見るのは難しいでしょう)」と回答しています。ただし同じ回答は「'일쑤'는 '-기가 일쑤이다'의 꼴로 쓰이는 것이 자연스럽다(「일쑤」は「-기가 일쑤이다」の形で使われるのが自然だ)」とも述べており、肯定的な内容に絶対使えないわけではないものの、実際の用例は望ましくない結果を述べる文脈に偏っています。

그 사람은 약속 시간에 늦기 일쑤예요.

その人は約束の時間に遅れることがしょっちゅうです。

望ましくない結果(遅刻)が繰り返し起きることを表しています。
× -기 일쑤다は肯定的な内容には絶対に使えないと考える

国立国語院オンライン相談室の回答は、일쑤自体の語義が「흔히 또는 으레 그러는 일」という中立的なものであり、肯定的な状況での使用を明確な誤りとまでは断定していません。ただし「-기가 일쑤이다」の形が自然だとも述べています。

→ 実際の用例の大半は望ましくない結果を述べる文脈であることを踏まえつつ、絶対的な文法規則として断定しません。

-기 마련이다・-는 법이다は当然そうなるという見方を表す

-기 마련이다と-는 법이다は、どちらも「そうなるのが当然だ」という話し手の見方を述べます。-기 십상이다や-기 일쑤다のように頻度の高さを数える言い方とは、見ているものが違います。

国立国語院 우리말샘は、마련を依存名詞として「((‘-기/게 마련이다’ 구성으로 쓰여))당연히 그럴 것임을 나타내는 말(「-기/게 마련이다」の構成で使われ、当然そうなるはずだということを表す語)」と載せています。また법(依存名詞)にも、「((‘-은/는 법이다’ 구성으로 쓰여))앞말의 동작이나 상태가 당연함을 나타내는 말(「-은/는 법이다」の構成で使われ、前の語の動作や状態が当然であることを表す語)」という語釈があります。

つまり2つとも、繰り返された回数ではなく、「そういう理屈になっているはずだ」という当然さを述べる形です。人や物ごとの傾向を言う-는 경향이 있다と違い、世の中の一般的な道理として言い切る響きがあります。2つの使い分けは、比較ページで例文と判断基準を確認できます。

사람은 누구나 실수하기 마련이에요.

人は誰でも失敗するものです。

個別の回数ではなく、そうなるのが当然だという見方を述べています。

열심히 노력하면 결과가 나오는 법이에요.

一生懸命努力すれば、結果は出るものです。

前の動作に対する当然の帰結を、道理として述べています。

-기 십상이다はほぼ例外なく悪い結果になることを表す

-기 십상이다は、そうしたらほとんど例外なくそうなってしまう、という見込みを述べます。望ましくない結果に使うのが普通で、実際に何度も起きた経験を回想する-기 일쑤다とは、予想か実績かで分かれます。

国立国語院 標準国語大辞典は、십상(十常)を「열에 여덟이나 아홉 정도로 거의 예외가 없음(十のうち八、九ほどで、ほとんど例外がないこと)」と載せ、십상팔구と同じ意味だとしています。-기 십상이다はこの名詞に이다を続けた形で、「そのままではまずそうなる」という見込みの強さを表します。

-기 일쑤다は実際に起きた反復を述べるのに対し、-기 십상이다は条件を挙げて「こうすれば〜になりやすい」と予想する場面で自然です。語釈は結果の良し悪しを区別していませんが、日本語の「〜しがちだ」にあたる使い方では、悪い結果を述べる例が中心です。

준비 없이 발표하면 실수하기 십상이에요.

準備なしで発表すると、ミスをしがちです。

条件を挙げて、悪い結果になる見込みの高さを述べています。

-는 편이다は自分や対象がどの部類に入るかを述べる

-는 편이다は、反復の回数を述べるのではなく、「どちらかといえばこの部類に入る」と大まかに位置づける言い方です。強く断定せず、例外があることを前提に述べます。

国立国語院 우리말샘は、편(依存名詞)に「((주로 ‘-은/는 편이다’ 구성으로 쓰여))대체로 어떤 부류에 속함을 나타내는 말(主に「-은/는 편이다」の構成で使われ、おおむねある部類に属することを表す語)」という語釈を載せています。

習慣について使うと、「たいてい早起きするほうだ」のように、習慣の強さをやわらげて言えます。-곤 하다が一つの行動の繰り返しを回想するのに対し、-는 편이다は自分や相手をほかの人と比べて、どちら側に近いかを示します。同じ「傾向」でも-는 경향이 있다は集団や現象の向きを述べる点が違い、比較ページで確認できます。

저는 아침에 일찍 일어나는 편이에요.

私は朝、早く起きるほうです。

ほかの人と比べて、早起きの部類に入ることを大まかに述べています。

同じ場面で4つを比べ、間違えやすい点を確認する

友人の行動という同じ場面で4つの表現を並べると、何を反復と見ているかの違いがはっきりします。

그 친구는 대학생 때 아침마다 운동장을 뛰곤 했어요.

その友人は大学生のとき、毎朝グラウンドを走ったものです。

-곤 하다:一人の過去の反復行動を中立的に回想しています。

그 나이대 학생들은 아침 운동을 게을리하는 경향이 있어요.

その年代の学生たちは、朝の運動を怠りがちな傾向があります。

-는 경향이 있다:その年代の学生全体という集団の一般的な傾向を述べています。

그 친구는 시험 전만 되면 저한테 노트를 빌려 달라고 졸라 대요.

その友人は試験前になると、私にノートを貸してとせがみ続けます。

-아/어 대다:話し手が負担に感じている反復への評価を伴います。

그 친구는 아침에 늦게 일어나서 지각하기 일쑤예요.

その友人は朝に寝坊して、遅刻することがしょっちゅうです。

-기 일쑤다:望ましくない結果(遅刻)の頻発です。
× 4つをすべて「よくある」という同じ意味だと考えて機械的に置き換える

特定の過去の反復行為を回想しているか(-곤 하다)、個人・集団を問わず現在の性質・傾向として一般化しているか(-는 경향이 있다)、話し手の否定的評価を伴う程度か(-아/어 대다)、望ましくない結果の頻度か(-기 일쑤다)で、それぞれ固有の役割を持っています。

→ 何を反復と見ているか、評価的なニュアンスを伴うかを確認してから4つの中から選びます。

× 満点を取り続けたという良い結果の反復に-기 일쑤다を使う(例:그 학생은 시험마다 만점을 받기 일쑤예요)

国立国語院オンライン相談室は、일쑤の語義自体は中立的だとしつつ、「-기가 일쑤이다」の形は望ましくない結果を述べる文脈で使われるのが実際の用例だと回答しています。

→ 良い結果が繰り返される内容には-곤 하다や-는 경향이 있다を使い、-기 일쑤다は望ましくない結果に限定して使います。

参照した資料

この記事の日本語説明と例文は語学ドリルが作成したものです。

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